開山忌法要へ行き心の中で笑って泣いてきた不謹慎な私

こんばんは。

 

わしのりよ です。

 

今年は土曜日が開山忌だったので

父の代理でお寺の開山忌法要へ行ってきました。

 

私は今回で3回目の出席。

相変わらずお寺の行事は春夏秋冬関係なく常にサマータイムで動いております。

お坊さん達は標準時間で動いているのですが、なぜかお檀家さんの行動時間が

サマータイムなのです。

ご住職も大変だと思います。サマータイムを逆算して準備をしなければならないので。

 

受付時間が9時30分開始なのに9時には参加するお檀家さんが全員集合する不思議な世界が繰り広げられます。

 

私は初めて開山忌法要に出席したとき遅刻したかと思い、焦ってしまいましたが

父に確認をしたところ、「みんな早く集まるよ」とアドバイスをもらい

翌年の開山忌法要には9時に家を出て10分後には受付完了。

受付開始時間は9時30分なのに。

このときも既にお檀家さんは全員集合状態。

もうサマータイムと言うよりもお檀家さんタイム。

お寺行事はお檀家さんタイムで動いているのですが、法要は当然のことながら標準時間で始まります。

今年、私はお檀家さんタイムではなく標準時間どおりに行動。

9時30分にお寺へ行きました。

当然のことながら参加するお檀家さんは全員集合していました・・・・・・。

 

これまた当然のことながら開山忌法要のために集まったお坊さん達は準備に勤しんでいます。

初めて参加したとき、法衣の袖を背面の肩にかけて準備をしていたお坊さんを拝見したときは、その姿に驚くと同時に法衣が機能的にできているのか、いつの時代からあのような恰好をするようになったのか少し興味がわきました。

 

これも初めて参加したときの思い出なのですが、散華を生まれて初めて見たとき、「何だこれは」と思いながら、落ちた散華を見つめていたら、撒いていたお坊さんから「拾っていいよ」と話しかけられたときは、「法要中に檀家に話しかけてもいいのかっっっ!!!?」と驚いてしまいました。

 

開山忌法要はお寺にとってとても大切な法要なのですが、なんだか参加するだけの身としては面白いのです(ご住職、お坊様方、失礼)。

 

今年の法要は解説をしてくださるお坊さんが昨年に続き同じ方。去年は「よくしゃべるな~」と感心してしまいましたが、今年は静かな解説(疲れがたまっていたのか?)。

 

5年ぐらい前まで我が家に毎年棚経に来てくれていたお坊さん。昨年の開山忌法要で久しぶりにお見かけしたのですが、今年はいらっしゃらず。棚経も高齢を理由(だと思った)に引退されたから、元気にしていらっしゃるのかな?などなど、開山忌法要をとおして心に思うことがあるのです。

 

3回目の今年は僧侶の袈裟の身に着け方に目がいってしまいました(あー、不謹慎)。

DVDでファンシィダンスを見たことがあるのですが、登場人物の慈安が袈裟を結ぶ紐を表に出す着こなしで晶慧は紐を見えないようにする着こなし。慈安は俗世を捨てきれていない設定だったのかな。

ファンシィダンスの影響で慈安のような着こなしをした僧侶を見ると真面目に僧侶やっているのかなと、本当にどうでもいいことを思ってしまうし、慈安のような着こなしをしている僧侶のほうがこころなしか法衣にしっかりとアイロンがかかっていたようなと思いつつ・・・・・・。あー、本当にどうでもいいことです。

 

今年は休憩中に住職がご子息を檀家に紹介されたのですが、心の中で私は泣けてきたのです。住職はアニメの一休さんにそっくりなのですが、ご子息は似ておらず。残念です。というのは冗談です。

ご子息は宗門の大学2年生で寮住まいとのこと。私はここの寮監のブログを拝見しており、下記の本も読んだことがあるので心の中でご子息に向かい合掌をせずにはいられませんでした。

 

食う寝る坐る永平寺修行記 (新潮文庫)

食う寝る坐る永平寺修行記 (新潮文庫)

 

 

寮に入るということは、進路を決める高校生の時点で覚悟が決まっているということ。

DVDでファンシィダンスを見て笑い、NHKスペシャルの永平寺関連の番組を見て

驚き、上記の本を読みただ泣くだけの私とは違うのです。

本には『自分で意識しなければ何かを得ることはできない』というようなことも記されていたと思います。

ご子息がこれからの大学生活と修行をとおしてどのようなことを得ていくのか、ご本人でなければわかりませんが、もし、私が幸運にも自然死を迎えることができるのならば、おそらくご子息が私の死と関わることになるでしょう。

そう何年もしないうちに厳しい修行を始める若者を目の前にし、背筋が伸び合掌をしたくなったのは私自身の人生において初めての体験でした。

 

開山忌法要の日に改めて、理想としては毎日を誠実に生きたい、と思いながらも現実は難しい、と早々に音を上げる不謹慎な私。

「だから日常のすべてが修行なんだよ」と道元禅師のお言葉が聞こえてきそうです。

 

合掌