差別といじめはなくならない ~いじめ体験記 その2~

こんにちは。

 

わしのりよ です。

 

前回の記事を読んでくださった方、ありがとうございます。

差別といじめはなくならない ~いじめ体験記 その1~ - Washino’s blog

 

今日は中学2年生のときに受けたいじめ体験を記します。

 

1年生のとき、学年全体で『わしのりよをいじめても問題ない』という空気が醸成されました。

 

2年生に進級し、ユカリちゃん(仮名)とシュンスケ(仮名)君とは別のクラスになりました。私の自宅とシュンスケ(仮名)君の家は近い距離にあるのですが、不思議なことに進級後、今日までこの二人と顔を合わせたことはありません。

 

進級して救われたこと。中学時代に知り合った唯一の友達ユウちゃん(仮名)ができたことです。

彼女と出会えたからこそ、私は中学時代にやけを起こさずに済んだのかもしれません。

また、小学校低学年のときに同じクラスだったナオヤ君(仮名)と再び同じクラスになったことも幸運でした。ナオヤ君(仮名)はリーダー的な存在だったのです。

 

『わしのりよをいじめても問題ない』という空気は、部活でも伝播し

同輩の私への接し方はますます酷いものとなりました。

やっかいなことに同輩だけではなく、

最上級生となった先輩からも目をつけられることになったのです。

 

当時、髪の毛を茶色に染めることが流行し始めたころでしょうか。

私は一度も髪の毛を染めたことがないのですが、先輩の目から見ると茶色だったらしいです。

先輩はたまにムカつく後輩を呼び出して注意をしていました(←表現が優しすぎ)。

呼び出す相手が私に内定したとき、ナオヤ君(仮名)が助け舟を出してくれたのです。

「わしのりよ、部活の先輩がわしのの髪の毛の色が気に入らないから近いうちに呼び出しするって。わしの髪の毛長いし茶色く見えるから気を付けたほうがいいよ。」

翌日髪の毛を切りに美容院へ行きました。

結局私はナオヤ君(仮名)のおかげで先輩からの呼び出しを受けることはなかったのですが、二言三言嫌味を言われて終わりました。

 

クラスでは1年生のときほど際立ついじめはなかったのですが、同じ部活に所属するクラスメイトから酷いことを言われたり、部活でのいじめが酷くなっていきました。

 

 部活では夏休みのときキャンプへ行き出し物をするのですが、その相談をするために集まることになりました。そのときお菓子屋で窃盗をした子がいたのです。

いじめのターゲットにならない子が先生に報告したため窃盗をした子は逆上しました。

逆上の矛先が私に向かったのです。

この一件以降、部活終了後、私は呼び出しを受けることが多くなりました。

 

人権侵害と暴力の始まりです。

 

①土下座をさせられました。

②「お前ムカつくんだよ」と言われ蹴られました。

③鞄を勝手に開けられ私物を散乱させられました。

④所有権の侵害が当たり前の状況になりました。

 

②が強烈すぎですね。14歳の女子が感情にまかせて人に暴力を振るう。

人間の恐ろしさを私が思い知った瞬間です。

 

いじめを受ける環境が1年11ヶ月を経過した2月のことです。

心の緊張状態が続く中、気丈に振る舞っていた(我慢をしていた)

私は脳内から出していた『我慢をしなさい』という指令とは裏腹に

限界が近くなったことで体が蝕まれていきました。

このころ、自宅へ帰ってきた瞬間、鼻血をだし、

玄関を鼻血だらけにしてしまったことが数回ありました。

また、私は皮膚が弱いのですが、顔左半分の皮膚がただれてしまいました。

体が正直な反応を示したのです。

年頃の女の子にとって、とても絶望的な状態となりました。

後に高校の友達が前後の写真を見たとき、とても驚いてしまったほど

私の表情は無くなり、生きた屍となっていきました。

 

当時は今ほど心療内科臨床心理士の存在が知れ渡っておらず、

近所に心療内科もなく、私自身も知識がなかったので皮膚科へいきました。

結局私は皮膚科医から『原因不明の皮膚病』で処理され薬を処方されて終わりました。

 

一番顔を合わせる担任・部活、どちらの教師も

私が目に見える変調をきたしても

声すらかけてくれることはありませんでした。

 

春から産休に入る理科の教師だけが私の変調に気づかれました。

ある日私がいじめから脱出できるヒントをくださったのです。

『環境を変えられる進学先を選びなさい』ということでした。

田舎だと進学する高校は大体決まっています。

進学後も最悪な環境が続かないよう心配してくださった先生は

少し特徴のある私立高校を紹介してくれました。

 

続く。